紆余曲折ありましたが、無事にインドへの出国日が3/22に決まりました。
任期も2年間で変更なく2018/3/21までです。
派遣延期の経緯
私は平成27年度3次隊として2015年10月7日から12月16日まで長野県駒ヶ根市にある駒ヶ根青年海外協力隊訓練所(KTC)にて派遣前訓練を受け修了しました。そして2016年1月13日にインドへコミュニティ開発隊員として2年間派遣される予定でした。
しかしながら、私はまだ日本にいます。冒頭でも書いた通り出国日がようやく決まりました。というか、調整してくださいました。
私は自己管理の甘さで派遣延期になってしまっていたのです。
この事によりJICA関係者には多大な迷惑をかけてしまいました。
本当に情けない限りです。
私が犯したミス
KTCでの訓練の生活は朝から晩までみっちりとスケジュールが組まれています。一番忙しい日の例を挙げると、
- 6:30~ 朝の集い・ラジオ体操・ランニング・食事
- 8:45~11:40 語学授業
- 11:40~13:00 食事・自由時間
- 13:00~17:00 講義
- 17:00~17:30 委員会
- 17:45~19:00 食事・自由時間
- 19:00~19:30 班会議
- 19:40~20:30 班ゼミ
- 20:30~22:30 予習・復習・入浴等
- 22:30~ 点呼・就寝
このような感じです。自由時間と書かれている部分も日によってはプレゼンの準備・課題・自主講座などに追われることがしばしばあります。訓練生活において自由時間をいかに使うか、いかに管理するかがポイントです。70日間という集団生活の中ではどうしてもストレスが溜まります。そのストレスを発散するため使える時間は、この自由時間や休日です。そして私はミスを犯したわけです。
何をしたのか?
指の骨折です。
ミスを犯した段階では自覚が全くありませんでした。「骨折だから痛いだろうし日常生活に支障も出るだろうし普通なら気付くでしょ?」って一般的には思うと思います。
思いませんでした。「少し指動きにくいなーなかなか腫れが引かないなー。でもすぐよくなるかー。」ぐらいしか思いませんでした。
何でこう思ったのかというと、
- 「少しひどい突き指」としか思っていなかった。
- 骨折をしたことがなかったので症状がわからなかった。
- まさか骨折しているなんて思わなかった。
3つ目の認識が完全に甘かったです。もちろん、自由時間にした行動自体が原因なのでそんな危険につながる行為を避けるべきだったんですが…ただあの時の私には無理だったんですね(笑)
そして3つ目の認識の甘さからすぐに通院という選択肢を取らなかったこと。これが派遣延期へと繋がります。
KTCでの訓練を終えて地元に戻り「まー大丈夫でしょ。」と思い行った病院にて「骨折」の診断を受けました。完治までには時間がかかり出国予定日であった1/13に間に合わない。JICAに報告。JICA顧問医の判断により「派遣延期」が正式に決まりました。
派遣延期期間中の不安
派遣延期が決定した私にはやることが幾つかあります。
- 怪我の完治…怪我の完治証明をもって派遣可能か不可なのか判断される。
- 支給済経費の払い戻し…支給された支度金とか交通費とか。
- 応募時健康診断の再受診…派遣日までに6か月経過してしまうため。
- 公用旅券の返納/再発行
などなど。海外保険の申請など他にもあげたらあります。
派遣手続きに再度進むためには、大前提として「怪我の完治」「健康診断結果」「配属先の受け入れ可否」の条件が必要になります。一つでも条件が悪ければ私は「派遣延期」ではなく「派遣中止」になっていたかもしれません。
こんな事情があったために派遣日が決まるまでとっても不安な毎日を送っていました。
「もし配属先がなくなったら…」「怪我を治している間に治安が悪くなったら…」「健康診断の結果が悪かったら…」「同期隊員が任国へ出発しているのに自分は何してるんだ…」「もし行けなくなったら職探しか…」「派遣中止になったら応援してくれていた人へどんな顔して会ったらいいんだろう…」などなど
1日に1度は「派遣中止」につながるようなネガティブなことを考えていました(笑)
怪我が完治するまでには時間が必要です。健康診断の結果がわかるまでには時間が必要です。公用旅券の申請には時間が必要です。ビザを取るには時間が必要です。そう、時間がかかるんです。その時間を少しでも短縮するために、私ができることはJICAからの指示を待ち迅速に対応することだけでした。
ただ「指示を待つ」ことが本当に辛かったです!派遣日が決まるまでは自分の将来がどう転ぶか分からない。全く先が見えない中で生活すること、指示次第で自分の夢だった「青年海外協力隊への参加」が叶わなくなってしまう不安は予想以上でした。元気な振りもかなりしてました(笑)
気持ちを切り替えたくてランニングや英語と現地語(タミル語)の勉強をやってましたが集中できるわけもなくKTCでの訓練中に高まった意欲もどこへ行ったんだろうって感じでした。何よりタミル語の文字が頭に入らない…そう、入らない…
派遣延期期間中の支え
怪我も完治し、派遣可能かどうかの大前提である予定されていた配属先とJICAインド事務所からの「しっかり治していつでも来てください。」という言葉はとても嬉しかったし救われました。同時になんとも言えない罪悪感も感じましたけど…健康診断も無事に終わりました。
ただこういう結果以上に元気をもらえていたのは同期隊員・友人・家族の存在でしたね。(残念ながらパートナーはいませんが。)
「同期隊員が任国で頑張っているんだから自分も腐らずに頑張るんだ。今やれることをやろう。同期の方が日本にいる僕よりもきっと苦労してるし悩んでるはずだ。」って思いながら過ごす時間が増えました。同期隊員のfacebookの更新やblogを見るたびに頑張ろうって思いました。(だからみんなの更新楽しみにしてるね!笑)
友人と話をする時間は辛い時間を忘れられたし、気さくになんでも話ができるのはとっても落ち着きました。辛いことも笑い話に変えてくれて助かりました。
家族もかなり気を使ってくれて私以上に私のことを心配してくれました。そして甥っ子の笑顔に勝るものはありませんでした。
KTCで撮った写真、貰った手紙やDVD、頑張って受けた語学授業のノートもすごくいい思い出になり、その思い出が支えになりました。(DVDに関しては10回は観ましたわ。27-3思い出作り委員会ありがとう!)
派遣延期になって思った事
改めて自分が青年海外協力隊として活動するには多くの人の助けがないと実現できない事をを強く認識しました。
家族・友人・同期隊員・JICA関係者・配属先関係者・旅行会社等…
それだけに今回自分が犯してしまった失敗により犠牲ではないですが多くの労力を私ひとりの為に再度かけることになってしまいました。労力がかかればコストもかかります。技術保管研修・派遣全訓練にも当然のことながら多くの費用がかかっています。もしかしたらそれが水の泡になってしまっていた可能性があったわけです。派遣前訓練中に再三「公人としての意識」を強調してくれていたのに、当時の私には「公人」としての認識があったのか、結果だけ見れば疑わしい限りです。
現地で活動をするのは他でもない自分自身です。現地で学んだ経験を帰国後にどのような形で還元するか、それをするのも自分自身です。ただそこに行き着くまでの過程の中で関わってくる人は自分以外に数え切れないほどいます。一人じゃ何もできません。
そして派遣延期となって待機していた時の不安感は想像上です。「やれることがない」「自分が行動してもどうにもならない」っていうのは本当に辛いです。正直な話、新規傷病が発覚した日・派遣延期が決定した日・健康診断結果受け取りの前日は不安からか全く寝つけませんでした。
こんな思いは極力して欲しくありません。悩むのは任国に行ってからで十分です。
まとめ
- 自己管理の徹底
- 公人としての自覚(というかは常識の認識)
- 青年海外協力隊事業の重み
- 活動を支えてくれているものの存在
- 自分の非力さ
当然のことですが、今回のことで再認識できました。また27-3駒ヶ根訓練所での修了式で同期隊員が言った言葉を忘れずにしっかり出国して2年後に帰ってこようと思います。
「これからの2年間、自分だけで解かなくてはならない『大きな宿題』が待ち受けていますと。でも私たちはひとりじゃない。同じ空の下に104人の仲間たちが同じように頑張っていることを忘れません。」
https://www.facebook.com/jicakomagane/posts/936126429797193:0 より引用
これだけは言いたい。
「しくじり○○!俺みたいになるな!!」