ワナッカム!
インドタミルナードゥ州ホスールにて養蚕農家への知識・技術普及活動に取り組んでます、あらちゃん(@kazuuuyama)です。
青年海外協力隊を目指す理由は人ぞれぞれです。
「海外に行ってみたい」「学校の先生が協力隊OB/OGだった」「協力隊OB/OGと関わる機会があった」「国際ボランティアに興味があった」「将来海外で仕事/企業がしたい」とか。志した理由は違えど「青年海外協力隊になりたい!」っていう気持ちと目標は一緒です。
私は大学を卒業して3年間勤めた会社を退職して現在「青年海外協力隊」としてインドへの派遣を控えています。細かい経歴はプロフィールを見てください。
青年海外協力隊を知ったきっかけ。
私の静岡県は、青年海外協力隊の累計派遣者数が1404名と47都道府県の中で10番手です。
引用元:http://www.jica.go.jp/volunteer/outline/publication/results/jocv.html (2016年1月31日時点)
数字を見たら結構派遣されてるんだって思いません?この数値なら青年海外協力隊OB/OGと交流する機会は多くありそうですが、私自身は青年海外協力隊を目指す直前までは全く交流する機会がありませんでした。
私が「青年海外協力隊」を知ったきっかけは…
このような「中吊り広告」を電車で見たことありませんか?
良くも悪くも今の私があるのはこの広告のおかげです。高校1年生の頃に部活で他校に試合に行く際に乗った電車で見た広告。試合が終わって家に帰ってから「青年海外協力隊」を検索したのが全ての始まりでした。調べた時は「こんな人たちが、仕事があるんだー。」と思った程度でしたが、高校を卒業し、大学を卒業し、社会人になるにつれて「青年海外協力隊に行ってみたい!」って思いが高まっていきました。
青年海外協力隊に応募するまで。
青年海外協力隊を志す人ってなんとなく「学生時代に国際協力活動に携わっていた人」「語学堪能な人」「看護師や教員などの資格を有している人」っていう風なイメージありませんか?
これらに私は全く該当しません!(笑)ただの平凡な会社に勤める人でした。
大学在学時にカナダのトロントへ約7ヶ月間留学しましたが、語学力も平凡なままでした。
高校一年生の時の三者面談で「通訳になりたい!」って言いましたね。確か三者面談の前日に「戸田奈津子」さんのテレビを見た影響です。「Good Luck !」がテレビでやっていた時は「客室乗務員」になりたいと言っていました。なんて意志のないセンシティブな人間でしょう。就職活動の際には「海外留学斡旋会社」に勤務したいと思っていましたが早々に夢破れ前職である「人材派遣会社」に勤めることになりました。
こんな平凡な私が強く「青年海外協力隊」に惹かれていった要因の一つとして学生時代に所属していたサークル(委員会かな?)での活動があります。
私はこの学生団体に大学3年から所属し活動しました。
「すべての若者が思いを形にすることを通じて、社会のつくり手となるために」というミッションの元に若者の社会参画ができるような社会をつくっていこうとしていました。私が所属した時には実はまだこのミッションがなくて…何日も何時間もかけてこのミッションを考えました。この学生に入らなければ「ワークショップ」とか「ファシリテーション」とか「エンパワメント」とかそう言った言葉を知ることなく大学を卒業していたでしょう。
若者エンパワメント委員会(YEC)での講演会やイベントの企画・中高校生との交流・勉強会・定例ミーティングで得た経験が今の自分のスキルになっています。スキルって偉そうに言えるほどでは全く持ってありませんが本当にそうだと思っています。ここで出会った変わり者たち素晴らしい仲間は日本だけでなく海外でも実は活躍していますし、お世話になった教授には今も相談に乗ってもらっています。(協力隊に応募した際もお世話になりました!T教授ありがとうございました!)
この団体で活動したことで「地域社会へ自分の力をどう還元していけるんだろう?」と思い始め、社会に出た後も心の中でずっと大きくなる「青年海外協力隊」への想いに気づき青年海外協力隊へ応募しました。
応募〜今まで。
「青年海外協力隊に応募しよう!」と思ってから初めて行った説明会が確か平成27年度春募集の時でした。そこで実際に青年海外協力隊事業がどういったものなのかを知ることができ、帰国してきたOB/OG隊員と話すことができどんな活動をしてきたのか、どんな困難を経験したのかを知ることができました。
私が応募した職種は「コミュニティ開発」です。ただ、ギリギリまで「青少年活動」にしようか悩みました。要請内容と職種内容を何度見直したことか…
※資格のない私でも活動できる職種は「コミュニティ開発」「青少年活動」「環境教育」ぐらいでした。YECでの活動や社会経験を一番発揮できると考えたのが「コミュニティ開発」という職種でした。
そしていざ平成27度秋募集に応募。一次試験は通り二次試験の合格発表日。仕事の休み時間にネットで結果を確認。
…あれ?番号がない……
ショックでしたね本当に…
会社にも既に青年海外協力隊のことは言ってありましたし、実は私が退職することを見越して引き継ぎなどを考えて、私がすぐに退職しても対応できるようしてくれていました。(上司は何故か「落ちるわけない」と思われていたので、早めの対応が仇になってしまいました。)
ただ翌日、自宅のポストにはJICAからの速達郵便。(合格者には「速達郵便」で結果が届く。)
その手紙の試験結果には「登録」と書かれた手紙が。
「登録」ってなんだ!?
っていうと、要は「補欠」です。合格者の中で辞退者が発生したり、新たに要請が急遽追加された場合に「登録」になった応募者の中から適性を見て「合格」にするわけです。ただし、もちろん適性が合わなければ合格になることはありません。
そしてその合格発表から約1ヶ月後。
そこに運良く私は当てはまることができ「合格」になりました。JICAからの連絡が来た時に、口頭で初めて自分が携わる要請も知りましたが、世界中のどこでも行く気満々だったので即答でした。やったね!
青年海外協力隊になって。
合格までの経緯はこんな感じでした。もちろん合格通知を受け取った時点では「候補生」なのでその後の派遣前訓練などを経て「青年海外協力隊」になれるわけですが今の私はちゃんと「青年海外協力隊」になることができました。
私が青年海外協力隊を目指した動機のほとんどを占めるのは「青年海外協力隊になりたい!」という想いです。他の隊員やOB/OG、これから協力隊を目指したいっていう人からしたらとっても浅くて、ありふれた感情的で抽象的な理由です。そう思われるかもしれません。
でもそんな私も「青年海外協力隊」になれました。
目指す理由はなんでもいいんだと思います。
ただ私は思っただけじゃなくて決断し行動しました。
「青年海外協力隊になりたい!」っていうのは簡単ですね。ただその言葉が「言葉」だけになってしまうかどうかなんだと思います。
協力隊を目指す理由が立派でかっこよくなくてもいいんです。こんな平凡な私でもなれたんです。
今は「養蚕を通じて地域(インド)をエンパワメントするんだ。」っていうとても強い想いがあります。その想いにしっかりとついて行けるようにしたいですね。
精進します。出国まで残り2週間!では!
[…] 私が青年海外協力隊を目指した理由。 […]